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2008年12月22日
真っ青な空。気温は3℃くらいで晩秋の関東より10℃も低かったが、空気が澄んでいて気持ちがよかった。ここ、チベット自治区の区都ラサは、7世紀前半にチベットを統一した吐蕃(とばん)王朝33代のソンツェン・ガンポによって都となった街だ。当時は「ヤギの土地」=Ra-saと呼ばれていたが、仏教が広まるにつれて、「神の土地」=Lha-saと呼ばれるようになった。チベット人にとっては、一生に一度は訪れたい聖地だという。
高度順応日の初日10月29日は、その聖地ラサの象徴、いやチベットの象徴ともいうべきポタラ宮の見学だった。出かける前にまた、ガイドさんに「早足不可」と念を押された。それもそのはずで、ポタラ宮はラサの西端、標高3,700mのマルポ・リ(紅丘)の頂上に要塞のようにそびえていて、その最上階まで上るというのだ。いくら健脚でも、一気に上りつめては呼吸困難に陥る。私たちは入り口から長く続く階段を、ゆっくりゆっくり慎重に踏みしめていった。
ポタラ宮は17世紀、ダライ・ラマ5世を戴く政権ガンデンポタンが、チベットを統一した後に建てた宮殿だ。もとはソンツェン・ガンポの宮殿跡で、これを再建したものだともいう。「ポタラ」とは、チベット語で「観音菩薩が住む地」という意味で、観音菩薩の化身とされる歴代のダライ・ラマがここに住んで、重要な宗教儀式や政治を執りおこなってきた。建物は茶色と白色に分けられ、茶色は宗教的儀式を行う「紅宮」で、歴代のダライ・ラマのミイラを納めた霊廟や仏塔がある。白色は執政の場所「白宮」で、ダライ・ラマの住居もここにあった。
現在、ポタラ宮は主不在のまま、博物館として公開されている。1951年、チベットは中国共産党の支配下におかれ、ダライ・ラマ14世は、59年に迫害を逃れてインドに亡命したからだ。ポタラ宮の広場には、中華人民共和国の国旗、五星紅旗が翩翻とひるがえり、歴史的事実を証明していた。