高校時代の友人、H君に、ヒマラヤ山岳ドライブツアーをしないかと誘われたのは7年前、1999年の7月のことだ。彼は以前にも行ったことがあり、今度はチベット側を走るツアーを計画していた。標高約5,000mの峠をいくつも越える行程だ。60代も半ばをとうに過ぎた私が、そんな高地まで登れるのだろうか。頸椎症で首の手術をしたばかりでもあり、とても無理に思えた。
だが、詳しく聞いてみると、ほとんどを四輪駆動車で走る旅という。トレッキングのときは、ネパール東部の高地民族、シェルパがすべてめんどうをみてくれる。川を渡るときも、水に浸からないようにおんぶしたり、駕篭のようなもので渡してくれるのだとか。ただひとつの心配は高山病だったが、プランには酸素ボンベや薬などの高山病対策と、高地順応のためのプログラムが綿密に組まれていた。これなら大丈夫だろう。
参加の返事をしたその日から、「大地の母」、チョモランマ(英名エベレスト)を間近に眺める旅の準備が始まった。会社の同僚を誘い、地学教授を退官していた友人にも声をかけた。世界中の地質を見て歩いていた友人だったが、ヒマラヤの地層の褶曲だけは見ていないといって、無条件で応じた。あとはH君が誘ったメンバーで、夫婦3組を含む15人のツアーを結成。現地の気候が安定する時季を待って旅立った。
10月25日、成田18時40分発。タイのバンコク(23時5分着で1泊)を経て、翌日2時間の飛行でネパールの首都、カトマンドゥへ。離陸して1時間たった頃か、窓から眺める空がコバルト色に変わったかと思うと、地平線が白く輝き始め、そこにヒマラヤ山脈の長い連なりが現れた。このときの感動をどう表現すればいいだろう。来てよかった! そう思った最初の瞬間だった。
カトマンドゥに着いたのは16時前。夕方のせいか人が多く、街はわさわさしていた。バスも満員で、後部にぶらさがるようにつかまっている人もいる。カトマンドゥ盆地は、標高が平均約1,300m。これから回る地域に比べるとたいしたことはないが、ここに2泊して、見学がてら最初の高地順応トレーニングをした後、空路でチベット自治区の区都、ラサまで移動。そこから四駆で南路をとり、チョモランマ登頂の拠点、ベースキャンプを目指すことになっていた。
宿は、カトマンドゥ近郊の古都パタンにある「ペンション・スジャータ」。主人は日本人で、そもそもH君は彼の協力も得て、このツアーをプランしたのだ。私たちは、ペンションの屋上から遠望されるヒマラヤ連山を眺めながら、1,000キロにわたるこれからの旅に興奮した。
磯矢 健一
1931年東京生まれ。横浜国立大学建築学科卒。
97年に会社をリタイア後、チベット、ウィーン、スイス等に撮影旅行をしパソコンで写真の整理、プリント等を楽しんでいる。



