山旅 チョモランマへの道〜チベット高原1000kmドライブ〜

チベットの象徴「ポタラ宮」

真っ青な空。気温は3℃くらいで晩秋の関東より10℃も低かったが、空気が澄んでいて気持ちがよかった。ここ、チベット自治区の区都ラサは、7世紀前半にチベットを統一した吐蕃(とばん)王朝33代のソンツェン・ガンポによって都となった街だ。当時は「ヤギの土地」=Ra-saと呼ばれていたが、仏教が広まるにつれて、「神の土地」=Lha-saと呼ばれるようになった。チベット人にとっては、一生に一度は訪れたい聖地だという。

高度順応日の初日10月29日は、その聖地ラサの象徴、いやチベットの象徴ともいうべきポタラ宮の見学だった。出かける前にまた、ガイドさんに「早足不可」と念を押された。それもそのはずで、ポタラ宮はラサの西端、標高3,700mのマルポ・リ(紅丘)の頂上に要塞のようにそびえていて、その最上階まで上るというのだ。いくら健脚でも、一気に上りつめては呼吸困難に陥る。私たちは入り口から長く続く階段を、ゆっくりゆっくり慎重に踏みしめていった。

ポタラ宮は17世紀、ダライ・ラマ5世を戴く政権ガンデンポタンが、チベットを統一した後に建てた宮殿だ。もとはソンツェン・ガンポの宮殿跡で、これを再建したものだともいう。「ポタラ」とは、チベット語で「観音菩薩が住む地」という意味で、観音菩薩の化身とされる歴代のダライ・ラマがここに住んで、重要な宗教儀式や政治を執りおこなってきた。建物は茶色と白色に分けられ、茶色は宗教的儀式を行う「紅宮」で、歴代のダライ・ラマのミイラを納めた霊廟や仏塔がある。白色は執政の場所「白宮」で、ダライ・ラマの住居もここにあった。

現在、ポタラ宮は主不在のまま、博物館として公開されている。1951年、チベットは中国共産党の支配下におかれ、ダライ・ラマ14世は、59年に迫害を逃れてインドに亡命したからだ。ポタラ宮の広場には、中華人民共和国の国旗、五星紅旗が翩翻とひるがえり、歴史的事実を証明していた。

宮殿の建築面積は約13万裃に及ぶ。そのすべてを見て回ったわけではないが、ユネスコの世界遺産にも登録されている宮殿内の彫刻や塑像、壁画、仏像などを描いたタンカの数々には圧倒された。熱心な信者でなくても、それなりに悟りの境地に至る思いがした。

宮殿の屋上に出ると抜けるような青空の下、聖地ラサ市内が一望できた。

*モンゴル語で「ダライ」は大海、「ラマ」はチベット語で師とか僧侶という意味。ダライ・ラマ14世は現在、亡命先のインドで「チベット亡命政府」を樹立し、チベットの自治権を主張している。

拡大表示宗教と政治の場所「ポタラ宮」。博物館として公開され、広場には中華民国の国旗、五星紅旗がある

チベットの宗教と政治の場所「ポタラ宮」。現在は博物館として公開され、広場には中華民国の国旗、五星紅旗がひるがえっている

拡大表示ポタラ宮の屋上から眺める金殿の屋根。神獣の像や宝瓶が施されている

ポタラ宮の屋上から眺める金殿の屋根。神獣の像や宝瓶が施されている

拡大表示ルート地図:現在位置

  1. チョモランマへの道 第1回へ
  2. チョモランマへの道 第2回へ
  3. チョモランマへの道 第3回へ
  4. チョモランマへの道 第4回へ
  5. チョモランマへの道 第5回へ
  6. チョモランマへの道 第6回へ
  7. チョモランマへの道 第7回へ
  8. チョモランマへの道 第8回へ
  9. チョモランマへの道 第9回へ
  10. チョモランマへの道 第10回へ

前へトップページへ次へ

磯矢 健一

1931年東京生まれ。横浜国立大学建築学科卒。

97年に会社をリタイア後、チベット、ウィーン、スイス等に撮影旅行をしパソコンで写真の整理、プリント等を楽しんでいる。

ホーム > 企画・特集 > チョモランマへの道 > 第4回 チベットの象徴「ボタラ宮」

▲このページのトップへ