海抜約4,000mの地にあるギャンツェ(江孜)は、ラサ(拉薩)、そして次に向かうシガツェ(日喀則)に次いで、チベット第三の町だ。ニャンチュ川沿いに開け、その昔はインドとの交易の中継点だった。中心部の小高い丘には、14世紀に築かれたギャンツェ・ゾン(ギャンツェ城)がそびえている。見るからに堅牢な砦だが、1903年、チベットに進攻したイギリス人が攻め入って熾烈な戦いが繰り広げられ、陥落したという。その夜は、最高級といわれる「ギャンツェ・ホテル」に泊まり、車に揺られっぱなしだった体を休めた。
翌11月1日は、町の北西部にあるパンコル・チューデ(白居寺)を訪れた。1418年の創建で、宗派を超えた仏教諸派が集まる境内には、1427年建立のチベット最大の仏塔がある。8層の仏塔内を時計回りに登りながら、各階の仏殿を見て回った。仏殿の数は70数余、安置されている仏像は約10万体。仏像の周りには壁画が描かれ、めくるめくチベット仏教美術が展開されていた。
そこからシガツェへ。約80袰の道程の途中、シャル寺(夏魯寺)に寄った。小規模だが歴史は古く、1084年の建立。14世紀の管長プトンに寄進されたという仏画群が有名で、それはみごとなものだった。再び走り始めて間もなく、車窓にレンガ造りの柱のようなものを見かけた。ガイドの説明によると昔の電信柱の名残りで、使われないまま各所に残っているという。電信柱が土造りとは、地震国日本ではとうてい考えられない構造だ。
シガツェに着いたら、子どもたちが寄ってきた。手にしたものを見ると、化石だった。この一帯は化石がよく出るのだ。元地学教授の友人は、たいしたことないといいながらも適当に値切って、いくつか買っていた。ここでの宿は、「世界一海抜が高い」のが自慢のホテル(3,836mの表示あり)。部屋に落ち着いてクッキーの袋を取り出すと、なるほど、気圧でパンパンにふくらんでいた。
そ翌日もこの町に留まり、タシルンポ寺(扎什倫布寺)を見学した。15世紀、後のダライ・ラマ一世によって創建され、その後、パンチェン・ラマに受け継がれて隆盛を誇る巨大な寺院だ。境内には50余のきらびやかな経堂が林立。中央には、高さ11mのパンチェン・ラマ四世の霊廟が堂々と歴代ラマの霊廟を従え、一角には26m余の高さを誇る弥勒菩薩の座像を納めた大弥勒殿。遠くからの寺院の眺めは、まるで一つの都でもあるかのようだった。
*パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身といわれ、ダライ・ラマに次ぐ高僧。ダライ・ラマ五世の時代に、タシルンポ寺僧院長がパンチェン・ラマ一世となり、四世以降、シガツェで宗教・政治活動を行ってきた。
磯矢 健一
1931年東京生まれ。横浜国立大学建築学科卒。
97年に会社をリタイア後、チベット、ウィーン、スイス等に撮影旅行をしパソコンで写真の整理、プリント等を楽しんでいる。




