第1回 上総亀山(かずさかめやま)駅 

2010/09/01
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千葉県君津市・JR久留里線「上総亀山(かずさかめやま)」駅 

  いきなり戦争の話で恐縮だが、あの第二次世界大戦は多くの終着駅を作った。
 地方に鉄道が盛んに建設されるようになったのが昭和初期のこと。これが戦争のために工事が軒並み中断され、本来はもっと延びるはずだった路線が津々浦々で断ち切られたのだ。
 木更津駅から首都圏でも珍しくなったディーゼルカーが、床下からドドドドとエンジン音を響かせて走っていく。
 房総半島の中ほどに路線を延ばすJR久留里線は、戦時中に建設が中断されたまま残ってしまった鉄道の一つだ。
 今日はこの列車に乗って終着駅まで行ってみようと思う。
 さてキハ37、これが僕の乗った久留里線の車両である。国鉄末期に作られた古い気動車で、現在JRで使っているのはここだけという珍品だ。久留里線にはこのほか、キハ30やキハ38という昔ながらのディーゼル気動車も現役だ。
 乗り合わせた学生はそんな化石のような車両がいる久留里線を自虐的に「ぱー線」と呼んだ。
 東京湾アクアラインに続く高速道路の下をくぐり、レンコン畑をみながらのんびりと走る。2両連結の昼下がりの列車は、「市原で進学説明会があった」という中学生でいっぱいだった。それも途中の横田駅で降りてしまうと客は5〜6人だけになる、まさにローカル鉄道の風景。
 久留里線の名前にもなった久留里駅は小さな城下町。ここからは病院帰りらしき2人連れのお年寄りと、一心不乱に携帯メールを打つ女子高生だけとなる。
「たーけやぶがさあ〜、ふーえちゃってえ〜」とお年寄りの会話。久留里駅をすぎるとにわかにエンジン音が高まって勾配に挑んでゆく。房総とはいえ山は険しい、確かに竹藪も多い。
 キハの先頭にへばりついて前を見ていたら、すすけた窓ガラスの先に、赤い旗を持つ駅員の姿が小さく見えてきた。終着の上総亀山駅だ。
 大正元年(1912)、千葉県営鉄道として始まった久留里線は国有化後の昭和11年(1936)に上総亀山駅まで達した。そこで戦争により工事が中断。本来ならば外房大原から伸びる木原線(現いすみ鉄道)と接続する予定だったという。
 里山に囲まれた上総亀山駅のホームは低く、脇に小さな木造駅舎がひとつ。典型的な通過駅の構造だ。
 ホームの端から約50m先の線路末端部まで行ってみる。定規で引いたようなまっすぐな線路が唐突に終わっていた。
 この、ちょっとシュールな風景に人を配して撮ろうとカメラを構えて30分。通ったのは、オジサンひとりだった。

 

文・写真 杉﨑行恭(すぎざき ゆきやす)
1954年兵庫県尼崎市生まれ。フォトライター。著書『毎日が乗り物酔い』『駅旅のススメ』『駅舎再発見』など多数。