第4回 阿字ヶ浦(あじがうら)駅 

2010/09/01


  • eki_04茨城県ひたちなか市・ひたちなか海浜鉄道湊線「阿字ヶ浦(あじがうら)」駅 

「湊線」
 茨城県の勝田から阿字ヶ浦までを結ぶ鉄道はそう呼ばれていた。かつて水戸郊外の港町、那珂湊の旦那衆が内陸を通過した鉄道と連絡するために線路を建設し、その路線に那珂湊から「湊」の一文字をつけて湊鉄道とした。

 それから幾星霜、湊鉄道はやがて茨城交通湊線となり、昨年からは第三セクター鉄道ひたちなか海浜鉄道湊線になったのだ。

 なにはともあれ「湊線」の名は残った。ただし「湊線」とはいっても車窓から港は見えない。それどころか海さえわずかしか見えない。かわりに水田地帯をひたすら走る。

 この鉄道は一時期、全国で走っていたディーゼル気動車キハ二〇系を集めた。キハ二〇は非電化のローカル線に向いた頑丈な車両で、部品も豊富、なにより北海道などの炭鉱鉄道が閉山で廃止になると、程度のいい車両が入手できたからだ。

  ひたちなか海浜鉄道湊線がまだ茨城交通湊線だったころ、そんなキハ二〇を古巣の鉄道色に塗り替えて走らせていた。そのころは常陸の水田地帯を留萠鉄道色や 国鉄色のキハがのんびりと走っていたのだ。聞くと「茨城交通系列のバスの整備工場に安く塗装を依頼した」という。今も残るそのキハ二〇に乗って湊線を行 く。カラリカラリと鳴るエンジン音も懐かしい。

 ひたちなか海浜鉄道の車両基地のある那珂湊駅を過ぎ、広大な畑の中を進んで行く。やがて小集落の中に首を突っ込むように曲がると終着の阿字ヶ浦駅だ。広い構内に数本の側線があり、そのかたわらに小さな木造駅舎があった。

 屋根もないホームに潮の香りが吹き抜ける。阿字ヶ浦駅の開業は昭和三(1928)年、たぶん駅の風景はほとんど変わらないのだろう。蒸気機関車時代に使われたコンクリートの給水塔がオブジェのように残っていた。

  閑散とした駅舎から線路の末端に歩くと海岸段丘の端から海が見えた。駅から続く線路はそこで終わっている。近くで農作業をしているお年寄りに聞くと「射爆 場にも線路が続いていた」という。この少し先に米軍が爆撃訓練をしていた水戸射爆場があり一九七〇年代まで戦闘機が飛び交っていたのだ。

 以前は夏になると上野駅から海水浴列車も乗り入れたという阿字ヶ浦駅だが、夏の海水浴シーズンがすぎると無人駅になってしまう。

 未舗装の小道を下ってみると民宿街が現れ、ほどなく砂浜に出た。昔の海水浴場はこうだった。

 来年の夏、「湊線」のちょっと時代遅れなキハに乗って、泳ぎに来てもいいなと思った。

文・写真 杉﨑行恭(すぎざき ゆきやす)
1954年兵庫県尼崎市生まれ。フォトライター。著書『毎日が乗り物酔い』『駅旅のススメ』『駅舎再発見』など多数。