第8回 下仁田(しもにた)駅 

2010/09/01
  • eki_08群馬県甘楽郡下仁田町・上信電鉄上信線「下仁田(しもにた)」駅 
  •  上信電鉄は果敢な鉄道だと思う。何しろ上州と信州を結ぶ目的で社名を「上信」としたのだから。そう思っていたら、ある鉄道史家から「かつては鉄道を設立するときに大きな社名をつけて、出資者を募るのが普通だった」と聞いた。
     この上信電鉄も明治30(1897)年の高崎〜下仁田間開業時は上野鉄道という名前だったとか。当時は地元の養蚕農家が資本金を出し合って設立した繭や生糸を運ぶための軽便鉄道で、沿線の富岡には世界遺産の暫定リストに登録されている旧富岡製糸工場もある。大正時代までは日本の輸出額の約4割を生糸や絹織物が占めていただけに、養蚕地帯の信州と製糸工場のある富岡を結ぼうという計画は本気だったようだ。
     そんなことを考えながら上信電鉄の電車に揺られていた。元が軽便鉄道だったため、駅も駅前も万事コンパクト、関東のJRではあまり感じられなくなったローカル線風情を満喫する。もとより平日の昼間は乗客も少ない。車窓から名産のこんにゃくの工場が目立つ。何より嬉しいのが、古い木造駅舎がそのまま使われていることだ。上州新屋、上州福島、そして上州一ノ宮駅とそのまま模型にしたくなるような駅舎が並んでいる。
     電車はやがて南蛇井という愉快な名前の駅を過ぎて鏑川の渓谷に入っていく。短いトンネルを抜けると、前方にノコギリの歯のような妙義連山が立ちはだかっていた。
     大変だ、多分あの向こうが信州だ。
     線路は山に阻まれて「もはやこれまで」という感じで終わっていた。
     終着の下仁田駅だった。
     ホームの末端に改札口があり、若い駅員がきっぷを集めている。構内には古い貨車や電車が並んでいる。
     そして駅前は路地裏だった。
     まるで駅を慕うように古びた家々が密集して駅前が路地になってしまったようだ。木造平屋の駅舎も負けずに古い。セメント瓦にガラス窓を巡らせて、その一角には”下仁田町産品陳列所”も、もちろん特産のネギとこんにゃくの写真もあった。
     若い駅員に「いつごろ建てられた駅舎?」と尋ねたが「聞いたこともない」という返事。推測するに、おそらく大正10(1921)年に電化された当時のものだろう。その電化時に、よりスケールの大きな上信電気鉄道と改称。残念ながらそれ以来、線路は信州方向に1cmも伸びていない。
     ちなみに県境の内山峠までは約20km、いつか歩いてみようと思った。

     
文・写真 杉﨑行恭(すぎざき ゆきやす)
1954年兵庫県尼崎市生まれ。フォトライター。著書『毎日が乗り物酔い』『駅旅のススメ』『駅舎再発見』など多数。