第2回 間藤(まとう)駅 

2010/09/01
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栃木県日光市・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線「間藤(まとう)駅」

  わたらせ渓谷鐵道の車両は深い赤銅(しゃくどう)色に塗られている。
 地元ではこれを「あかがね色」と呼ぶ。「あかがね」とはつまり銅のことだ。国鉄足尾線を引き継いだ第三セクターのわたらせ渓谷鐵道は、かつて足尾銅山から銅鉱石を運び出した歴史にちなんで、ほとんどの車両がこの色に統一されている。
 桐生から北上する路線はつねに渡良瀬川に沿って走る。春は桜、秋は紅葉と、四季それぞれに鮮やかな色彩に恵まれた沿線に、あかがね色の車両はモダンに映える。
 桐生駅から約1時間30分、列車は群馬県から栃木県に入った。鉱山町の中心、通道(つうどう)駅を通過し、国鉄時代のキハ(ディーゼルカー)が保存されている足尾駅を過ぎる。
 そして豊かな足尾渓谷の色彩が突然途絶えるところに終着、間藤(まとう)駅があった。
 かつて、この地で操業していた足尾精錬所から出る亜硫酸ガスで山々の樹木が失われたのだ。間藤駅の北方を見ると、山の稜線まで荒々しい風景が広がっている。ディーゼルカーはここで折り返しの時間まで停車する。
 その車両のはるか上の岩場で幾人もが作業をしていた。「落石を防ぐネットの敷設をしているんですよ」と運転士さん。
 線路の周囲にも段々畑のように植林され、少しずつ緑も戻っているという。一度破壊された自然を回復させるためには膨大な時間と労力が必要なことを足尾の山々が教えている。
 屋根の上に時計を掲げた間藤駅舎は、第三セクター化後に建て替えられた観光駅舎だ。その待合室には紀行作家、故宮脇俊三さんの著作『時刻表2万キロ』のコーナーが設けられていた。 
 昭和52(1977)年5月28日、宮脇さんがこの間藤駅に達したところで当時の国鉄線完全乗車を果たしたのだ。翌年出版された『時刻表2万キロ』はベストセラーになり、日本の鉄道紀行文学のバイブルにもなった。
 おそらくその読者であろう年輩の男性がひとり、熱心に展示を読んでいた。
 さて、片側ホーム1本だけの間藤駅に駅員は常駐していない。駅前にはいまも操業している工場があり、寂しげなバス停がひとつあるだけだ。かつて鉱山の全盛期には、さらにこの先の精錬所(旧足尾本山駅)までスイッチ・バックで登って行く路線があったという。いまでも草むす廃線跡が続いている。
 さきほどの列車でこの駅に着いたカップルの女性が間藤駅をみて「殺風景ね」と連れに話しかけた。
 そう、旅路の果ての終着駅は、このくらい殺風景なほうがちょうどいいと思った。

 

文・写真 杉﨑行恭(すぎざき ゆきやす)
1954年兵庫県尼崎市生まれ。フォトライター。著書『毎日が乗り物酔い』『駅旅のススメ』『駅舎再発見』など多数。