第6回 奥多摩(おくたま)駅 

2010/09/01
  • eki_06東京都西多摩郡奥多摩町・JR青梅線「奥多摩(おくたま)」駅 
  •  
  •  高校時代の地理の時間。関東の西に「秩父古生層」という分厚い地層があって、「大昔は海底にあった地層が隆起して、豊富な石灰石を産する山脈になった」と習った記憶がある。
     東京の西に線路を延ばす青梅線も、その石灰石を求めて山に分け入った鉄道だ。
     日清戦争があった明治27(1894)年、早くも立川〜青梅間に軽便鉄道が開通し、やがて日向和田駅、御獄駅と多摩川の急流に沿って線路を延ばしていった。終着の奥多摩駅(当時は氷川駅)まで開通したのは太平洋戦争末期の昭和19(1944)年のこと。コンクリートになる戦略物資、石灰石の輸送は国家的な要望だった。
     立川駅から乗った青梅行きの電車は武蔵野の面影を残す西東京の平地を走る。やがて平野が尽きたところで青梅駅に到着した。
     青梅線の前身、私鉄の青梅電気鉄道の本社があった青梅駅舎はクラシックなビルディングだった。今“昭和レトロの町”で人気を集める青梅にはマンガ家の赤塚不二夫会館もあって、奥多摩行き電車の発車メロディーも「ひみつのアッコちゃん」だった。
     単線になった線路は多摩川渓谷の急斜面にへばりつくように進んで行く。
     冬の平日、奥多摩まで来る人は少ない、それでも中央線を時速100㎞近くで走るE233形電車が、わずかな乗客を乗せてそろそろと登る。
     さて、ここからの電車は先頭車両がおすすめだ。
     右は山、左は目もくらむような谷。絶景また絶景、蛇行する川に従って数分ごとにトリッキーなカーブが現れる。電車は車輪をきしませながらもじりじりと高度を上げ、標高343mに達したところで終着の奥多摩駅に到着した。
    「青梅よりも3〜4度は寒い」と駅で聞いた。東京都で最も高いところにある鉄道駅舎は山のロッジのような建物だ。玄関には銘木を使い、ハーフティンバーの壁には数奇屋風の丸窓も開いている。まさに登山ムード満点の駅舎だが、これが戦争中の完成とは驚かされる。
     たくさんの留置線が残る構内の先には石灰石を積み出していた大工場が控えていた。今では青梅線に貨物列車が走ることはなくなったが、かつてはさらに上流の小河内ダムや雲取山直下まで線路が続いていたという。駅の周辺を歩くと、線路跡らしいスペースが延びていて興味が尽きない。
     その昔、終電でやって来た登山客が、夜明けを待った奥多摩駅舎の2階は改装されてそば屋が開店していた。
     秩父古生層の上でいただく
     “東京最高所”の駅そばのツユは、ちょっとだけぬるかった。

文・写真 杉﨑行恭(すぎざき ゆきやす)
1954年兵庫県尼崎市生まれ。フォトライター。著書『毎日が乗り物酔い』『駅旅のススメ』『駅舎再発見』など多数。