第4回 イグアス大滝はやはり世界一

2008/12/21

今、大西洋をブラジルの東岸に沿って北上中、4日後にアマゾン河口のベレンに着く予定で、その後アマゾン河を遡ります。
100日間の日程の「まだ」「もう」半分となりました。日本との時差12時間、NHKの「おはよう日本」を前日の夜7時に見ています。
 3月5日、9日間の大西洋横断を終えて、ブエノスアイレス着。ケープタウン出航後2日程少し揺れて、横浜以来初めて船酔いの人が沢山出たようですが、その揺れもその程度で済んだのは、フィンスタビライザーのお陰だそうです。その後大きな揺れも無く、平穏に航海が続いています。

■コロン劇場‥‥アルゼンチンは、19世 紀末から20世紀初めにかけてかなり豊かだったようで、その頃の建物は立派で、有名なのは世界三大オペラハウスの一つ(他はパリオペラ座とミラノスカラ座)といわれるコロン劇場、内部の見学も出来ましたが、豪華さはパリのオペラ座にはかなわないと思いました。しかし、日本には匹敵する劇場は無いでしょ う。

■レコレータ墓地‥‥墓地が見学コースに何故入っているのかと訝ったのですが、行ってびっくり。ナント!我々のイメージする墓地とは全く異なるものでした。広大な敷地には 6400もの区画があり、その一つ一つが約1坪で、高さ3メートルから5メートルの建築物乃至は彫刻作品ともいえる一種の納骨堂が、びっしりと立ち並んでいるのです。そのうちの70は国の重要文化財に指定されているとか。13人の歴代大統領とか有名人を含め、アルゼンチン大統領夫人エビ−タ・ペロンの墓すら決して立派な方ではないのです。あらゆる歴史的建築様式、素材も花崗岩、大理石は勿論、新しいのは強化ガラス、ステンレスまで競い合っています。

■イグアス‥‥ブエノスアイレスから空路 イグアスへ、滝をアルゼンチン側からとブラジル側から、それぞれ一泊して観光。世界三大瀑布といわれる、ナイアガラ、ヴィクトリアと見てくると、やはりイグアスは、規模、景観共にダントツでしょう。まとまった大きな滝の迫力は勿論のこと、小さな滝の一つ一つも日本でいえば名勝、名瀑といわれるような規模なのです。特にブラジル側の方が広範囲に見渡せ、散策路や展望台の施設も整っており、国立公園内の自然保護も徹底していて、乗用車の乗り入れ禁止で、日本の上高地のように、手前の駐車場でバスに乗り換えさせ、公園内の動植物は、木の葉1枚、虫1匹採っても厳罰とか。色や柄さまざまの美しい蝶が乱れ飛び、穴熊の一家が道路を悠然と横切り、梢にはブラジルの国鳥トゥッカーノが黄色の大きな嘴で餌を啄ばんでいるのです。滝そのもののほかに、環境も含めて世界一と言えるのではないでしょうか。

■サンパウロ‥‥イグアスから、空路ブラジルのサンパウロに入り、一泊。ここは、30年前出張で仕事に来たことがあり、ひときわ思い入れがあったのですが、今や、街中落書きだらけ、治安も悪く、がっかりでした。人口が1400万人に膨らみ、南半球最大の都市。地下鉄は3本出来たものの、交通渋滞は激しく、見所はあまりありません。

■日本人街東洋人街‥‥以前、サンパウロの「日本人街」と言われていた、ガルボンブエノ通り界隈が、最近のガイドブックや地図に「東洋人街」となっているのを、何故かなと思ってい たら、日本のバブル景気で、労働力不足の頃から、ブラジル在住の日系二世や三世の出稼ぎが増え、日系人の住居や店舗が空家になったり代替わりしたりで、その後に入ってきて住み着いたのが韓国系や中国系の人達なので、「東洋人街」となったのだそうです。

■リオデジャネイロ‥‥世界で最も美しい港町の一つと言われるリオデジャネイロに、サンパウロから、空路到着し、大西洋を北上して来た飛鳥と合流。リオは、1960年にブラジリアに首都が移転するまで、200年以上ブラジルの政治、経済、文化の中心で、現在でも、南米を代表する観光都市ですし、何よりも景観に恵まれているのです。

■美しさの維持と課題‥‥リオの美しさの 根本は、その地形にあり、水平方向に伸びるビーチ即ちフラメンゴ、ボトフォゴ、コパカバーナ、イパネマ、レブロン…と、それぞれ大西洋に面する1〜4km の長さ、幅100mの白砂は、護岸も埋め立てもされず、夜中にブルドーザーで清掃し、点々と置かれた屑篭のみで、清潔さが保たれていて、大胆水着の市民や 観光客の憩いと遊びの場が身近にあります。垂直方向には、キリスト像で有名なコルコバードは710mの頂上近くまで登山電車または車でも登れ、ポンデアスーカルの岩山は約400mの頂上までロープウェイで簡単に登れて、それぞれの頂上からの俯瞰で街を一望でき、逆にこの二つのピークが、街のどこからでも見えるランドマークとなっているのです。この豊かな環境は、「遊ぶ為に働く」リオの市民の憩いの場であり、サッカーに、サンバに活力が燃え上がるのです。 しかし、課題もあります。それはスラムの拡大です。ブラジルのスラムは、日本なら高級住宅地となるような眺望の良い山の斜面に展開され、私が30年前に来た時は山の中腹までだったスラムが、稜線にまで達し、さらに反対斜面を下り始めているのです。既存の高級マンション等は、そのようにスラムの群れが伸びてくると忽ち不動産価値が下落してしまうそうで、折角の美観も台無しだし、大きな問題を抱えているのです。

■サルバドール‥‥リオデジャネイロから、飛鳥はブラジルの東岸に沿って大西洋を北上、古都サルバドールに寄港しました。首都が18世紀にリオに移されるまで、16世紀から約200年間ポルトガルの総督府が置かれた古い港町です。中心部のペロウリーニョ広場は、古い、植民地風建物の残る街並みで、ユネスコの世界遺産にも指定されています。昔の奴隷市場の建物も残っていて、サトウキビ農園の労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷の輸入港でもあったのです。港に接した下町と、切り立った 台地上に広がる中心部との高さ70mを連絡するエレベーターが公道の機能を果たしています。我々は、豪雨に見舞われ、ゆっくり観光することは出来ませんでした。

日本はいよいよ春ですね。今年は、残念ながら私の生まれて初めて桜を見ない春となります。 皆様、どうぞお元気で。ではまた。