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藤田優一君の街角ワンショット

    vol.63 日本の発展を支えたトーマス、ありがとう!

    2019/01/11

    • 昭和時代前半、鉄鋼業の発展に活躍したトーマス転炉。役目を終えた今も、
      どっしりした姿を披露しながら歴史を語る。

     早春号とはいえ、これからが寒さ本番!インフルエンザやノロウイルスなどにも罹りやすくなる季節。うがい手洗いをしっかりして温かくお過ごしくださいませ!ちなみにワタクシの風邪予防はお茶をよく飲むこと。緑茶などは殺菌効果で風邪予防にもなる!という話を聞いたので、よく飲んでいます。
     さて、今回の話題はトーマス!トーマスと言ったら、「機関車トーマス」を思い浮かべるかもしれませんね。でも、今回のトーマスは、産業遺産の「トーマス転炉」。川崎市中原区にある等々力緑地内の川崎市市民ミュージアム前に、そのトーマス転炉はあります。大きさと漆黒のボディは機関車に通じるものがあるかもしれませんが、こちらは日本の鉄鋼業界にその名を残し、現役を終えた今では産業遺産のモニュメントとしてその姿を残している製鋼炉なんです!
     大きさは高さ約7・6m、外径約4・2m、重さ約60t!卵形というか樽の形にも近いその姿は、遠くからもインパクトがあります。でも、そもそもトーマス転炉って?トーマス転炉とは、鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして作った銑鉄から鋼を作り出すための炉なんだとか。銑鉄の状態だと不純物などが多く混ざっているため、それをできるだけ取り除くために転炉などを使い、不純物の少ない質の良い鋼を作り出すんだそうです。
     等々力緑地内のトーマス転炉は、昭和13(1938)年から昭和32(1957)年まで川崎区の製鉄所で稼働し、その後、川崎市市民ミュージアムに寄贈されたもの。昔はこの重いトーマス転炉を傾けて、溶鋼を注ぎ込んだりしていたんだそうですよ。確かに傾けるために使ったと思われる大きな歯車も付いていますね!
     今では日本が誇る鉄鋼業ですが、ココまで発展したのはこのトーマス転炉の活躍があったからでしょうし、日本の経済成長の躍進にも、やはりトーマス転炉の活躍があったのではないでしょうか?昭和、平成、そして次の時代へ…本来の役目は終えましたが、トーマス転炉の歴史は熱く続いていきます。

    文・写真 街角リポーター 藤田優一
    1年365日行脚(あんぎゃ)している、はぁ〜いフジタでェ〜す!!地元神奈川のことならなんでもお任せ!明るく元気なのが一番の取り柄です。街で見かけたら是非声をかけてくださいね〜♪